
こんにちは、特殊清掃専門店リライブル株式会社、代表取締役の鈴木です。
陸別町の「関 寛斎資料館」に行ってきました。
※資料館は道の駅「オーロラタウン93りくべつ」の内部にあります。

ニュースで「北海道の最低気温!」で放送される温度計&時計もありました
みなさんは関寛斎翁のことはご存知でしょうか?
※氏名と勘違いしてしまう恐れがあるので”敬称”は省略させていただきますこと予めご了承ください。
関 寛斎について
昨年12月に千葉県・佐倉順天堂を訪れた際にここで「当時の最新医学を学んで72才のときに陸別町の開拓を始め、82才で服毒自殺をして陸別町に眠る偉人」のことを知りました。

佐倉順天堂資料館(千葉県)
北海道に住んでいてもなかなか陸別町に行く機会が無かったのですが、釧路市に住む親友に会う予定が出来たので途中寄り道をしてきました。
江別市から陸別町までは約250km、約3.5時間かかります。
イメージとしては東京駅付近から直線距離で北は福島県福島市、北西は新潟県新潟市、西は愛知県岡崎市の距離です。
昔はろくな道路もなく、原野だったので、開拓・開墾には相当な労力が必要だったことが容易に想像できる道程でした。
恐らく、北海道に住んでいる方でも「こんな凄い人がいたんだ!」と驚くと思います。
ググれば色々と出てくるのですが、少しご紹介させてください。

道の駅 「オーロラタウン93りくべつ」から徒歩1分位の位置に立つ関 寛斎像
【関寛斎 経歴】
千葉県東金市の裕福な農家・吉井左衛門の長男・豊太郎として生まれる。
3歳で母と死別。
13歳のとき儒学者・関 俊輔の養子になり、18歳で順天堂に入門し佐藤泰然の元で学ぶ。
佐藤泰然の佐倉順天堂は「大阪の緒方洪庵の適塾」と並んで蘭学の最高峰の私塾でした。
貧乏で玄関の横の一室で寝泊まりして「乞食寛斎」と呼ばれるが佐藤泰然の手術助手を務めるまで頭角を現す。
26歳のときに銚子で開業するが万延元年に醤油醸造業(後のヤマサ醤油醸造)を営む豪商・濱口梧陵の支援を受け長崎に遊学しポンぺに師事した。
当時、「東の佐倉、西の長崎」と言われるほどの両方で蘭学の最高峰知識・技術を得る。
その後、徳島藩・蜂須賀家に招かれ侍医になる。
戊辰戦争が勃発すると新政府側の「奥羽出張病院頭取」として負傷者の治療にあたった。
この時の功績で明治新政府より武士の身分と禄をいただく。
戦後、寛斎の元には治療をしてくれたお礼参りが絶えなかったそうです。
その後、徳島に戻り「徳島藩医学校」を創立。
明治6年、禄籍をあっさり奉還し町医者として、30年間地域医療のために尽力する。
貧しい人には無償で治療を施すなど、地域の人々からは「関大明神」と篤く慕われた。
その後、金婚式のときに北海道開拓を志し、明治35年、72歳で北海道陸別町の開拓事業を行った。
先に札幌農業学校(現・北海道大学)を卒業した4男・又一が先に入植。
しかし、寒さのため開拓は困難を極めた。
徳富蘆花を通じてトルストイの思想に傾倒、同時期豊頃町で開拓にあたっていた二宮尊親の影響を受け「積善社」を設立。
理想的な農村建設をこの地で目指したが、果たせず大正元年、自らモルヒネを服し自死。
82年の波乱の生涯を閉じた。
「関寛翁、あい嫗 埋葬の地」までの道のりは立ち入り禁止になっていましたが、この先に関翁が300m先に眠っているそうです。少し遠いですが合掌。
実践の偉人たち
どうやら私は困難に負けず何かを「再興・復興」した「実践」第一の偉人が好きなようです。
過去にブログで紹介させていただいた偉人のラインナップは・・・
・上杉鷹山:衰退した米沢藩を復活させるために苦心する。

・二宮尊徳:農民出身でありながら農村復興を成功させ「報徳思想」を広める。

・山田方谷:低い身分出身ながら借金まみれの備中松山藩を経済面でも軍事面でも復活させる。

・大原幽学:狭い範囲ではあるが世界初の農業組合や性学などを用いて農民を指導する。志半ばで自殺してしまう。

・佐々井秀嶺:差別に苦しむ不可触民を救うためにヒンドゥー教から仏教へ改宗したアンドーベカル博士の意思を継ぎ、インド仏教を復活させた「生ける伝説」

自己栄達に興味がなく、他人のために生きる
関 寛斎は黙って医者をやっていれば日本医学界のトップに君臨出来た可能性もあったが、それらには興味がなく最後は「貧困で苦しむ者たちが食べ物で困らないように、広大な北海道で食べ物を生産できれば救われる人が増える」という「利他の精神」で名誉も財産もなげうって利他のため北海道開拓に命を賭ける!
私利私欲で行動する人ではなく、机上の空論を諳んじる学者でもなく「実践」の人でした。
最後は成功とはいえないかもしれませんがその「精神力」や「志」「生き方」は大いに学ぶべきことがたくさんあります。
司馬遼太郎の『胡蝶の夢』を筆頭に多くの作家さんが本を出版されています。

司馬遼太郎関連の写真はUPしてはダメだそうです
【関 寛斎資料館内部】
※管理している教育委員会に電話問合せをして撮影許可をいただいております。

若かりし頃の関 寛斎

愛国心を育てる教育が必要
「ウポポイ」なんて学びにならない“利権がらみの箱もの“に無駄な税金をつぎ込むくらいならこういった、北海道開拓期の偉人たちを紹介するキャンペーンをしては如何でしょうか?
北海道黎明期のゆかりの偉人は島義勇、近藤重蔵、間宮林蔵、松浦武四郎、二宮尊親、与田勉三、新渡戸稲造、内村鑑三、有村武夫・・・など素晴らしい人はた~くさんいます。
残念ながら地元の道民でさえ知らない、知られていない偉人が多いと思います。
そもそも、北海道への移住や開拓、屯田兵などの歴史を教わる機会もそうそうないのでしょう。
昔の日本人はこんなに立派だったのだと子どもたちに伝え「愛国心」「郷土愛」を育む教育をしなくてはいけないと思います。

晩年の関 寛斎
日本という国に誇りを持てる教育が出来るか?
「愛国心」という単語を出すと”パヨクの人”はすぐに「戦争」に話を繋げますが、本当に短絡的でおバカな人たちで”真の日本人ではない人たち”が騒ぎたてます。
「なぜ自国のことを誇りに思う教育がダメなのでしょうか?」
当然、それは子どもたちに愛国心を持たれると困る勢力(特に共〇党)があるからです。
現代は実弾が飛び交わない侵略戦争が始まっています。
もう、賢い人は知っていますが北海道もかなり侵略されていますから、国民一人一人の自覚が大切になってきます。
愛国心を育てるには自虐史観ではなく、正しい日本の歴史を学ぶことが大事です。
過去の歴史は実は常にアップデートしていきますので、正しい情報、正しいかどうかを判断する知識、正しい智慧をもって、その偉人の生き方を実践することが大切なのだと思います。

資料館で売っている本と陸別の牛乳を購入させていただきました。酪農従事者様に感謝です
6月は仕事も仏教塾も忙しい
さて、また現場作業の事とは関係のない内容のブログをUPしてしまいました。
昔はSEO対策のためにキーワードを意識して作っていましたが、近年は同業他社さんとの差別化も考慮して作成しています。
経営者がどのような思考や思想を持っているのかを知るには【会社概要】や【代表挨拶】などだけでは知り難いですから、私が逆の立場で依頼するときは【会社概要】や【代表挨拶】は必ず読みますし、同業他社さんのホームページを見ても変わり映えしないので心に刺さりません。
そして、ご理解・ご賛同いただける方だけにお声をかけていただければ良いと思っています。
そんな一風変わった特殊清掃会社ではありますが、おかげさまで”一定数のご相談”を頂戴しております。
あんまりバンバン電話が鳴るような状態も個人的には望んでおりませんので何事も”ほどほど”が大事だと思っています。
なにより「ご縁」を大事にしていますので、ご依頼に至らなくても問題ありません。
まずはお気軽にご相談ください。
それでは、この長文を呼んでいただた皆様の今日がおだやかでやさしき時間と共にありますように。
合掌

関 寛斎、「所縁の地のMAP」がとてもわかりずらく所縁の地に行くのに大変苦労しました。



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