こんにちは、札幌市近郊を中心に活動しています特殊清掃専門店リライブル株式会社、代表取締役の鈴木です。
前回の続きで特殊清掃の現場のお話ではありません。
ある程度の歴史知識があるという前提と、かなり端折って話を進めますので、わからない人が無視してください。
私の日記みたいなもので数年後に振り返って読んだりしているものなので適当に読んでいただけるとありがたいです。
当然、歴史マニアの方や歴史を学ぶ方向けでもありませんので悪しからず。
m(__)m
ホテルを8時半に出発し福山市「鞆の浦」に向かいます。
3日目 6月28日
福山市 鞆の浦
「福山市鞆の浦歴史民俗資料館」に行きました。ここは「鞆城跡」だったそうです。

鞆の浦の歴史をざっくり知るにはちょうど良い規模感、ちょっと展示法も古いです。
朝鮮通信使の資料が多く、展示物・内容があまり無いのですが写真撮影が禁止です。
「太田家住宅・太田家住宅朝宗亭・鞆七卿落遺跡」
禁門の変で敗れた三条実美ら七卿が一時匿われた場所です。
はっきり言って三条実美はお飾り公卿で大した功績もないので全く私の琴線に触れません。

重要文化財 元は保命酒中村家として栄えた建物
「常夜燈」
鞆の浦のシンボルです。

鞆の浦といったら常夜燈というくらいメジャー
「いろは丸展示館」
紀州藩の明光丸と大洲藩からレンタルしていたいろは丸(海援隊)が海上衝突・水没した件で争った事件の舞台になったところです。
日本初の蒸気船同士による衝突事故とともに日本初の万国公法による海難審判事件です。
海底発掘(サルベージ)したときの発掘品の資料館です。

民間企業が行なっているのか、素人感が強い展示法ですがある意味熱意が伝わる資料館です
「桝屋清右衛門宅」
大洲藩・御用商人だった桝屋で坂本龍馬と海援隊士を匿っていた屋根裏の隠し部屋が発見されました。

徳川家親藩・紀州藩との裁判は命懸けだった
「福禅寺・對潮楼」
朝鮮通信使がここからの景色を「日東第一形勝」と称賛しました。
ここの一室で紀州藩と海援隊の賠償交渉がありました。
鞆の浦では決着がつかず長崎で裁判が行われることになります。
鞆の浦は道路も狭く車での行動が限られているので駐車場に車を止めて歩くことが基本です。
ここでは書ききれませんが、鞆の浦は歴史的エピソードもまだまだある土地柄なのですがここで泣く泣く止めておきます。
まだ見たいところもあったのでゆっくり1日かけて観光しても良い場所かと思います。

古民家カフェが多い気がするので海もすぐ近くで散策や散歩にはちょうどいい街
午前中は鞆の浦を観光して、昼からは備中松山城がある高梁市に移動します。
備中松山城と山田方谷
山田方谷
まず、山田方谷(やまだ ほうこく)という人物を知らないと話が進みません。

エピソードはかなりはしょりますので自分で調べてください
幕末期の経世家、思想家、教育者です。
元々は名家だったのが没落していたうえ、若い頃に両親を失くしたり苦労話が多かったですが、頭脳明晰で「神童」と言われていた逸話が多く残されています。
二宮尊徳と境遇や行動が似ている部分がいくつかあります。
評判が高かったこともあり江戸に出て幕末期に昌平黌・総長も務めた佐藤一斎の塾(3000人いた)で塾頭を務め、佐久間象山と並んで「佐門の二傑」と言われたのが山田方谷です。

これは漫画なので読みやすく分かりやすいです
大きな実績は備中松山藩の10万両あった借金を返済したうえ、蓄財10万両を造ったことではないでしょうか。10万両は現在に換算すると約300億円。
一言で文章化すると大したことないように思われるかもしれませんが、人心も荒れている超貧乏藩を藩政改革し、軍事面でも軍制改革を行ない多大な功績がありました。
なんでも改革を起こすと既存勢力との軋轢が生まれトラブルが生じるもので、例にもれず備中松山藩でもいざこざがあり方谷も暗殺される恐れもありました。
また河合継之助(長岡藩家老)の師として司馬遼太郎の「峠」という小説で知っている人もいるのではないでしょうか?
映画化もしました。
その河合継之助も山田方谷から学んだことを元に長岡藩の改革に成功しています。
その後、河井継之助は戊辰戦争時にスイスのような中立国を目指し武装強化しますが、最終的には薩長軍に叩きのめされ残念ながら長岡藩は焦土となってしまうので、何が幸せかはわかりませんけどね。
もし河井継之助がもっと慎重で徳を積んでいた人物だったらまた結果が変わっていたかもしれませんが、「歴史にIF」は禁物です。

それほど展示物は多いわけではないが・・・
あと、びっくりしたのが山田方谷記念館の館長さんが方谷から5代目の子孫の方でした。
お話を少しだけしましたが大河ドラマ化を希望し署名100万人を達成してNHKに持って行ったり、広報活動をなされているそうです。
経営者としては知っていて損はない偉人の一人だと思います!
日本の政治家(特に石破内閣)は山田方谷の爪の垢でも煎じて飲んでほしいものです。
その横の「高梁市郷土資料館」は昔の農機具や生活雑貨品、民芸品を置いてある資料館だったのでサラッと終了。

建物は明治37年建築の旧高梁尋常高等小学校の本館を活用しているらしいです
備中松山城へ向かいます!
備中松山城
この城は現存12天守のうちの一つで江戸時代以前に建てられて、そのまま残っている貴重なお城です。
この現存12天守のうち、私が巡っていないのはあと3つで丸岡城、宇和島城、丸亀城で近いうちに行きたいです。
備中松山城は、結構気合を入れて観に行かないといけない城の一つです。
駐車場に車を止めて土日は途中までハイエースで有料ですが送ってくれます。
それから急な山道を20~30分歩きます。

ところどころで立て札のメッセージに癒されます
若い頃ならいざしらず足腰の衰えを感じます。
こんな山奥で石垣の造りが凄いです!(←語彙力の無さよ)

写真では伝わらない迫力
猫の城主・さんじゅーろーがお出迎えです。
山田方谷の上司に当たる板倉勝静も城主ですが、観光客数を増加させたさんじゅーろーの方が有名かもしれません。

あっちむいてますが別に猫好きじゃないので私も逆に無視です
内部は資料館的要素は少ないですし、規模も小さいので実際に見る時間は少なめです。

鉄筋コンクリート造りではなく、梁や柱が太いです
当たり前ですが来た道をまた歩いて下らないといけないので膝と腰に負担がかかります。
元気なうちに見学をお勧めする山城の一つです。
この城を見学して17時近くになったのでここから津山市に移動しホテルに宿泊し3日目は終了です。
4日目 6月29日
津山城(鶴山公園)
津山城は織田信長に仕え「攻めの三佐」の異名をもつ森可成の六男(兄が森蘭丸)である森忠政が12年の歳月をかけて築城したお城です。
親や兄弟は有名ですが森忠政自体の功績やエピソードはあまりぱっとしない印象です。

モデルの木蔵がありそれを見本に作ったそうですがもう少しカッコいい銅像作り直しませんか?
5層の天守(幕府に遠慮して4層に見えるようにした)、60を越える櫓があったと言われ、とんでもない規模のお城でした。
櫓や塀が無い状態でもえげつない高さの石垣と枡形虎口が繰り返しあり防御力の高さを物語っています。

大軍で攻めてきても少数の兵で防御できるような工夫がなされていて即死確定です
この圧倒的な石垣を見ただけで戦意消失してしまいます。
近年、再建されたのは「備中櫓」といわれる天守の次に大きい櫓。

向えの宿泊先ホテルから撮った写真
津山城と言えばこの櫓がイメージとして浮かぶようですが、もっと縄張りのでかさをアピールした方が良いのではないかと思っています。
玄人向け、通好みの城なので頑張って天守や塀なども再建して欲しいものです。
次は津山城から岡山城に向けて約一時間半の移動です。

天守や櫓、塀、門、屋敷などがある状態で見たかった・・・

津山郷土博物館の津山城復元モデル
岡山城(烏城)
宇喜多直家・秀家親子、小早川秀秋、池田光正など池田氏が居城とした城で2022年にリニューアル再建されました。
興味深いのは改修にかかった費用が約18億円だったのが、1年で約113億円以上の経済効果があったと報道されています。
ですから、お城は儲かるのです。

ピッカピッカです
安土城なんか再建したら滋賀県もかなり観光で潤うと思いますけどね~。

橋を渡ったら後楽園
後楽園
日本三名園の一つで後楽園、偕楽園、兼六園です。
あとは加賀の兼六園に行けば3ヶ所コンプリートです。
綺麗に手入れされた庭園ですが、こういう人工的な庭園には個人的には心動かされない派です。

ときおり岡山城が見える
史跡巡りについて
3泊4日の旅程は大きなトラブルもなく、予定通りに消化することが出来ました。
最近は城跡、寺社仏閣以外にも幕末期に建てられた藩校や経世家や教育者の史跡や資料館に興味があり見たいところ、伺いたいところが多すぎて困ります。
また、行った先で偉人たちの書籍を毎度購入するので、読まないといけない本が自宅に山積みされています。
「人生役に立たないことは何一つない」ですから、いずれこの知識や経験を活かせるようなことが後年あるかもしれないと思って毎日を過ごしております。
そして、こうして日本各地を巡れるのも、仕事が順調で、周囲の人たちや家族の支えがあって、健康でいられることに感謝です。
6月から本格的に忙しくなり、7月も既に作業予約が入ってきており埋まっている日も多くなってきていますが、特殊清掃に関することでお困り事がございましたらお気軽にご連絡、ご相談下さい。
次回のブログからは現場のブログに戻りますのでまたお付き合いください!
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