こんにちは、特殊清掃専門店リライブル株式会社、代表取締役の鈴木です。
7~8月は孤独死案件が非常に多く、9月はリピーター様からの案件でほぼ予定が埋まってきております。
お急ぎの案件の場合は、何とかスケジュール調整したいと思っていますのでご相談下さい。
そんな中で9月第一週の週末のスケジュール(9/5~9/7)が空いていたので急遽ですが、山形県米沢市へ2泊3日の一人旅に行くことにしました!
現場ブログではありませんが、お付き合い下さい。
現場の話を読みたい場合は過去のブログをご覧頂けると幸いですm(__)m
米沢市には何があるのか?
東京や大阪など地方セミナーの合間に行けるような場所ではなく、「米沢市に行こう!」と意を決して計画を立てないとなかなか行けない場所だと思います。
しかしながら私は昔から「死ぬ前に必ず行く!」と決めていた土地でもあります。
ここは「尊敬している」というのも憚られる上杉鷹山公に所縁がある土地だからです!
(※今後は偉人への「公」などの敬称は略させて頂きます)
歴史的には伊達政宗の生まれた土地であり、関ヶ原の合戦後に上杉景勝、直江兼続が治め、前田慶次の晩年の地など色々と歴史好きにはたまらない土地なのです。
幕末まで上杉家が治めた地域ですが、”中興の祖”である上杉鷹山の存在無くしては米沢は語れないでしょう。

上杉伯爵邸の上杉鷹山公胸像
それでは回ってきた順番(時折話の順番的に変更はありますが)に紹介していきます。
1日目~新千歳空港から山形空港へ
フジドリームエアライン(FDA)で山形空港へ、その後レンタカーを借りて米沢市に向かいます。
米沢市まで高速道路で約1時間くらいの距離です。
ホテルは格安ビジネスホテルに素泊まりです。
その代わりと言ってはなんですが、道の駅で米沢牛のサーロインステーキを頂きました。
これで神戸牛、松坂牛、近江牛も以前食べたので”4大和牛”制覇です。
5大和牛だと飛騨牛が加わるらしいですが岐阜は今の所しばらく行く予定はありません。
私は一庶民だからなのか、歳のせいなのか食べ慣れている“普通のお肉“の方が美味しく感んじてしまいます。
初日は移動のみでほぼ終了です。
2日目~上杉神社へ
翌朝、9時にホテルを出発!
前日の大雨が嘘のように快晴になりました!
まずは米沢城跡・上杉神社に向かいます。

鳩と鯉がたくさんいました
ここは「越後の龍」「毘沙門天の化身」こと藩祖・上杉謙信

元々は新潟県でしたが上杉家移封に際し謙信公もお引越しです
その養子で二代目上杉景勝、右腕の直江兼続。

奥、上杉景勝 手前、直江兼続
そして上杉鷹山が祀られています。

上杉鷹山公の像 晩年の姿でしょうが若い銅像も作って欲しい!
本当であれば上杉鷹山の説明をきちんとしておきたいところですが異常に長くなってしまうので本当のさわりだけご紹介。
破綻寸前(実際に前藩主は幕府に財政破綻の申請をするところだった)の上杉家に養子で来たにも関わらず建て直したこと(上杉家臣団は名門意識が高く、政策に反対・反逆する家臣も大勢いた)
細井平洲を招聘し、興譲館で学問を推奨し人材育成に努めたこと
今年4月に愛知県の細井平洲記念館に行ったときのリンク貼っておきます。

上杉神社近辺とは場所は違いますが米沢市内にある興譲館跡地も足を運びました。
大名の妻は子どもを産まないと離縁される時代に、正妻・幸姫(前藩主の子ども)が知的障害で3歳児並みの知能しかなく夫婦関係はなかったが優しい心で亡くなるまで接した。
家督相続争いにならないように早めに35歳で隠居した(院政だったということで後継失敗という考えもあるがそれは難しかったのではないか?)
実績も人柄も素晴らしく当時の「江戸三百諸藩第一の名君」と言われました。
なせばなる なさねばならぬ 何事も
ならぬは人のなさぬなりけり
という言葉が超有名ですね。

松岬神社の上杉鷹山公座像
米沢城跡には「伝國の杜」、「上杉伯爵邸」、「上杉城史苑」、「松岬神社」があるのでこの周囲を見るだけで3時間くらい時間がかかりました。
全ては紹介しきれないので皆さん訪問してみてください。
上杉神社宝物館で甲冑4体を年内いっぱい修復中とのことでした( ; ; )
上杉謙信、上杉景勝、直江兼続の有名な甲冑でしたので残念です。
春日山・林泉寺
上杉家の菩提寺で上杉家の他に直江家に関連する資料がたくさん置いてありました。
上杉家の移動に伴い上越→会津→米沢に移転建立されたそうです。

異常にお宝いっぱいあります
説明してくれるガイド(?)の方がいらっしゃるのでその説明は聞いたほうが良いですね。
凄い勉強になります。
ただし、かなり歴史や仏教の予備知識が一定以上ないと全然ついていけないレベルだと思いますが、知らないことを知れる機会としては良いと思います。
私も後で調べてみようと思うことが多々ありました。
それにしても直江兼続は“米沢開拓の大恩人“ということですが、米沢市でそれほど推されてように感じないのはなぜでしょう?
面白い逸話も多い武将なのですが・・・。

直江兼続と正室お船の方のお墓
館山城跡
上杉神社近辺から車で20分ほど移動。
ここは伊達政宗の伊達家所縁の城らしいのですがさらっと見学。
特に資料館とか銅像はありませんし私以外は誰も来ていませんでした。
伊達政宗は仙台のイメージが強烈すぎて米沢のイメージが薄いですが銅像くらい建てればもう少し観光客が来そうだと思いますが、きっと地元の方たちはそういったことは望んでいないのかもしれません。
宮坂考古館
隆慶一郎の「一夢庵風流紀」を原作に「北斗の拳」を書いていた「花の慶次」を漫画化し歴史に埋もれていた人物が脚光を浴びました。
歴史小説、漫画なので史実ではないところもありますが、それでも前田慶次郎という人物が世に出たのは喜ばしいことではないでしょうか?
そんな前田慶次の鎧が展示されていました。
展示物も少なく建物も大きくないのですぐに見学終了してしまいます。
「え?マジでこれだけ?」と思っちゃうので過度の期待は捨てましょうw

七百点の個人コレクションがあるということで期待していったのですが展示されていたのはその10分の1?
写真撮影は全面禁止でしたのでパンフレットの写真を掲載します。

前田慶次の鎧
雲井龍雄の像
幕末期に米沢藩・興譲館が産んだ天才志士です。

銅像は等身大に近い1.6m、台座を含めると3mだそうです。
ほとんど一般的には知られていませんが、つい最近、北海道博物館で見た「新選組永倉新八と会津藩士栗田鉄馬展」でこの二人が雲井龍雄と米沢で語って意気投合したというものを見たこともありご縁を感じて足を運んでみました。
明治新政府に雇われるのですが米沢藩は戊辰戦争時に奥羽越列藩同盟側の「逆賊」ということもあり出世を妬んだ者たちに足を引っ張られ、最終的には大した裁判もされず処刑されてしまいます。
くだらない派閥争いに巻き込まれなければもっと日本のために役立つ優れた人物だったと思います。
残念ながら頭が良い人特有の頑固さや人付き合いの下手さがあったのか能力は高くても人望や優しさがなかったのかもしれません。

経歴ですね
しかし、本来であれば歴史に埋もれて銅像建立にはならないと思うのですが、こういった敗軍側の人達を再評価していける時代は素晴らしいですね。
勝者だけがクローズアップされるのでは、「努力や正義ってなんなの?」という風になってしまいます。
「勝てば官軍、勝ったものが歴史を作る」のですが、人間というものは一面的にみるだけではいけない・・・と常に真ん中で見る癖をつけたいものです。

述懐
このパネルの漢詩を意訳した部分を表示します
『述懐』
死に臨んでも死を畏れない
いつも覚悟して 力いっぱい生きてきたから
志ある人間の掲げる大義の輝きは 太陽と思うほどだ
正しいと信ずる道を行くのなら
釜茹での刑にされても構わない
広く果てしない世界の中の 小さな我が身だが
国を思う気持ちは 万里の長城の如しである
日本の私腹を肥やすおクソな政治屋に読んでほしい漢詩です。
雲井龍雄、享年27歳・・・。
3日目〜上山市へ
熊野神社
7時半ごろにホテルを出立し熊野神社に向かいました。
1200年以上の歴史をもつ日本三熊野の一つです。
地元の方々が大切に護られてきた日本人が誇る歴史遺産です。
こういった歴史文化に敬意を称する外国人観光客なら歓迎しますが、それをわざと破壊するような人間は日本人、外国人問わず来ないで頂いたいです。
古い建物を維持することは大変な苦労があると思います。
上山城(資料館)
なかなかマイナーなお城だと思うので知っている人は地元近隣の方か相当な歴史マニアではないでしょうか?

立派なお城です!
幕末期に廃城になっていたのですが昭和に再建した模造天守で内部がエレベーターのある資料館になっております。
「こんなお城は邪道だ!」という方もいますが、私はこれはこれで”観光用”として時代とともに変化するので致し方ないと思います。
だって元々城というのは防御用の建物ですし、その後は権威やシンボルとしての役目だったのです。
興味がない人にしたらお城は維持費だけがかかる無用の長物でしょう。
少しでも観光客が来てくれて地元が潤ってくれるならそれはそれで現代の役割を果たしていると思います。
実際に内部はとても資料や展示物の数が多く見て回るのに1時間半かかりました。
内部や外部の美観も維持されていましたし、展示物にも一言二言オリジナルのメッセージが添えられており、地元愛が感じられて、とても大事にされているお城だと感じました。
有名な藩主・武将はいないのですが、幕末期に金子邦清という藩校・明新館の塾頭を務め、全国の志士と交流があった人がいました。

「上山藩といえば金子!」と言われるほど優秀だったそうです。惜しい人材でした。
慶應3年、薩摩藩邸出兵した際に銃弾に倒れ明治の幕開けを見る前に命を落としました。
東北地方は戊辰戦争で優秀な人材が明治新政府に加わることなく亡くなっていることが大半です。
恐らく、薩長土肥の西国の人材とは別に東北地方の人材の粘り強さ、我慢強さがあれば日本はまた違う歴史を歩んだかもしれないと思いました。
沢庵和尚・晴雨庵
江戸時代に紫衣事件で上山に流されていた沢庵和尚が住んでいたと言われる庵です。
沢庵は大根のたくあん漬けで有名ですが、それ以外にも逸話が多々ある人なんですがここではそれほど取り上げません。

小さな庵で民家に囲まれています。保存してくれてありがとうという感じです

沢庵和尚

上山城にあった沢庵和上と上山藩主・土岐頼行のレリーフ
今回も特別トラブルや雨に当たらずに無事に旅程を終えることが出来ました。
帰りの飛行機もFADで帰りました。
最後に~なぜ歴史スポットを訪ねるのか?
遺品整理で依頼を受けたお宅で故人の本を頂くことがあります。
本棚を見れば直接会っていなくてもどのような人柄だったのか、どのような趣味だったのか、どのような考えをしていたのかがある程度わかるものです。
今回、この本を読んでみて、自分が歴史スポットを訪れる理由が何となくわかりました。

白駒紀登美さんの本は時折(最新情報ではない)間違いはあるけれど良いことが書かれていて読みやすいです。
日本人が好きで偉人やその街を訪れることでパワースポットとしてパワー(=志)を頂き自分も「志」を繋げていきたいと思っているのだと。
経営者として「会社は常に大きくしていかなくてはならない」とか「経営者が現場に出ては会社は大きくならない」とかいう考えは西洋的な考えで自分には合わないと思っていました。
「日本人は古来から労働者と一緒に共に汗を流すことが美徳」という考えの方が合っています。
「労働・勤労」に関する考えた方が日本人以外は「契約で成り立つ、苦しいことでありその対価としてお金をもらう」という考える人種が多いようです。
これは宗教観や文化などによって考えが違うので一概には言えませんが、日本の場合は自然災害が多く一神教ではなく八百万の神の信仰による永年の”先人の智慧”が伝わっているのでしょう。
日本は「働くことは他人のためにも自分のためにも役立つ尊いこと」として単純にお金を稼ぐだけのことだけではないという教えがありました。
ここが日本人が日本人たる所以でしょう。
最近では「他人を蹴落としてでも、迷惑をかけてでも自分だけが儲かればいい」という資本主義万歳の考えの人が多くなってきているように思えますがそれでは何もかもが先細りしてしまうでしょう。
「因果応報」や「善因善果・悪因悪果」というものはすぐに良いとか悪いとか結果が出るものではなく、後ほど結果が出てくるものだそうです。
時折、先人の知恵に触れながら向かう方向を間違えないように軌道修正して生きていこうと思います。

体力や知能などの能力はもちろんのこと人格も一流でなければ大事を成せない
社名に掲げる信頼される(RELIABLE)企業を目指す!
リライブル株式会社
0120-669-920 (スマホの場合は上記を押すと電話に繋がります)

家財整理10年以上の実績があります!
・営業時間は9時〜17時が基本ですが転送電話で24時間対応可能です。
・基本的に土日祝日は作業はお休みですが、緊急性の高いお見積りの場合はご相談下さい。
・遺品整理・生前整理・不用品処分代行などの家財整理全般
・上記に伴う買取も積極的に行っており作業代の削減に努めます。
・孤独死現場・事件現場・自殺現場などの特殊清掃及び消臭作業 ・ゴミ屋敷・ゴミ部屋・汚部屋などの片付け及び清掃
・ペットの多頭飼育崩壊現場の糞尿臭の原状回復工事
・火災・ボヤによるスス臭の消臭(保険対応することが多いです)
・灯油漏洩現場の消臭作業(保険対応することが多いです)
・その他、ニオイや凄惨な現場でお困りの方はお気軽にご相談下さい。
【注意点】
・少人数で運営しているため、24時間事務所に電話番が常駐しているわけではなく転送電話にて対応しております。
・せっかくのお電話でも現場作業中ですぐに出られない場合に【非通知設定】だと折り返し電話がかけられない場合がございます。 ・お時間をずらして再度電話して頂けると幸いです。