【日本人として誇りに思う】木村摂津守喜毅(芥舟)を知っていますか?

こんにちは、特殊清掃専門店リライブル株式会社、代表取締役の鈴木です。

最近「リライブシャツ」の間違い電話が多すぎて笑います。

出川哲郎さんがイメージキャラクターで有名になってきたこともあり、高齢者からの電話なのですが最近では声色で何となく間違いかどうかわかるようになりましたw

今日は札幌市でリピーターさんのプチごみ部屋のお片付けをしてきました。

仕事の話も時折しないとちゃんと営業しているどうか不安になると困るので一応ご報告です。

特に問題なく終了していますのでブログで掲載することはありません。

では「今回のブログの内容は何だい?」と聞かれますと

本を読んでいて個人的にかなり驚いたことを記載しようと思います。

現場の話以外に興味の無い人にとってはどうでも良い話かもしれませんが、「こうなりたい、こうありたい」と思う偉人の紹介をさせて下さい。

※話を省略することも多いのである程度、歴史を知っている方に書いています。

でも結構現場の話以外のほうが「リライブルってちょっと変わっているけど他と違うなぁ」と思ってもらえるようです。


咸臨丸の話を知っていますか?

突然ですが、皆さんは「幕末期に万延遣米使節団として太平洋を”日本人だけで初めて航海した”咸臨丸(船長・勝海舟)」と日本史の教科書で習いませんでしたか?

「咸臨丸=勝海舟」というイメージがありませんか?

「真説 幕末動乱史(原田伊織著)」では全くのでたらめで勝海舟(当時は勝麟太郎)なんかは船酔いで全く役立たずだったのになぜか英雄として扱われるという話です。

薩長史観、司馬史観(司馬遼太郎)のアンチテーゼとして読むと良い。歴史好きなら納得することも多いはず。

当時の勝海舟は人望ゼロ、操船・航海技術の無さにびっくりするくらい「使えないどころか足をひっぱる嫌な奴」として一緒に航海していたアメリカ人のブルック大尉(←何気にこの人も超優秀な人です)や福沢諭吉なども日記に記しています。

咸臨丸には木村摂津守の推挙がなければどうなっていたのか?

そもそも船酔いで船室に閉じこもっていたということで海の男として落第ですし、ましてや船の指揮なんて無理ですよね。

ですから実はこの後は陸の仕事と交渉術で成り上がったので「日本海軍の父」なんてことはないのです。

ブルック大尉の部下であるアメリカ人スタッフ10名、ジョン万次郎、小野友五郎などの活躍が無ければ海の藻屑と消えていたであろうことはもっと知られて良い話だと思います。

東京、墨田川にある勝海舟像 江戸城無血開城は本当に勝海舟の手柄だったのか?


木村摂津守喜毅という大谷翔平みたいな漢

咸臨丸のトップ(提督)として航海したのは「木村摂津守喜毅(芥舟)」だったことを日本の教科書で正しく教えないといけないと思います。

私もあまり、というか恥ずかしながら殆ど木村摂津守という偉人を知らなかったので慌ててAmazonで注文しました。

木村摂津守と福沢諭吉

詳しいことをここで記載するとめっちゃ長くなるので泣く泣く割愛しますが、個人的に「凄いな~」と思ったエピソードは太平洋横断を行う前に木村家先祖伝来の家宝・家財などを売って自己資金を2千両作り、幕府からも予備として5百両を借りたそうです。

日米修交通商条約締結のために「太平洋を渡る」という”戦さ”には失敗は許されない!

「戦さに勝つためには”軍資金”がないといけない」ということで、自分のために使うのではなく船員の士気を上げたり、アメリカでお土産を買わせるためにとか要所要所で使ったそうで、人の気持ちを汲み取る能力が高く、優しい人柄だったことを象徴するエピソードです。

アメリカから帰国した頃には木村摂津守の手元には1銭も残っていなかったと言われています。

死後幕閣で位階勲等を受けたのは川路聖謨、岩瀬忠震、池田長発、木村芥舟の4名だけ。木村摂津守は明治新政府に仕えなかったので知名度が低いと言われている

また当初幕府から借りた5百両は手を付けずにそのまま返金したそうです。

お金が無くなったのなら、その5百両借りたままでいればいいのに、返してしまうあたりも凡人には真似を出来ない「真の忠誠心ある武士」だったのでしょう。

お金に清く、人格者で優秀。地位に固執せず徳川家に忠義を尽くす。

薩長閥の山県有朋や井上馨などの金や地位に汚い人物とは正反対です。

「国民の税金」で私腹を肥やすバカ政治家どもは清廉さを木村摂津守からもっと学ぶべきですね。

ブルック大尉も木村摂津守の人柄に惚れ込んで咸臨丸に乗り込んで手助けをしたよ。実はこの人も凄い人なんだけど興味があったら調べてね


今は金に汚い政治家ばかり

そして、アメリカでも木村摂津守の人格・教養が大変素晴らしく、どこに行っても人気モノだったそうで・・・今の総理大臣とは真逆です。

こういう話を聞くと今の政治家って、本当に同じ日本人なのかと思いますね!(どうやら政治家の多くのルーツは朝鮮人、シナ人らしいですが)

あまりこのような立派な偉人が世に知られると政治家も困るから紹介しないのかもしれません。

日本人として恥ずかしすぎます。

二宮尊徳をはじめ昔の素晴らしい偉人のエピソードが知れ渡ると日本の政治家が困るから隠すんだろうな~。TVやネットばかりを見ていて本を読まないと騙される人間になっちゃうよ!


福沢諭吉との邂逅

また福沢諭吉と木村喜毅の友情の話も大変興味深く、まだ何ものでもなかった身分の低い福沢諭吉の能力を認め、「福沢先生」と呼び、また福沢諭吉も「木村様」と呼び終生家族ぐるみの付き合いがあった(この他の息子さんとのエピソードも紹介したいが長すぎるので割愛)と言われています。

歴史の歯車というのは不思議なもので、福沢諭吉が木村摂津守の咸臨丸に”従者”(正式な乗組員ではない)として乗船を許されなかったら、後の「慶應義塾大学」も「学問のススメ」も「一万円札の肖像」も無かったかもしれません。

福沢諭吉旧居・福沢記念館に行った時の写真(大分県中津市)

渡米したことで福沢諭吉の輝かしい道が開けたのです。

もし渡米していなかったら「学問のススメ」という当時の超超ベストセラーが世に出ていない可能性が高いです。

ということは、この本に触発されたり啓蒙されたりしなかった日本人は現在どのようになっていたのかわかりません。

結構、歴史の分岐点だったくらい凄い偶然が重なった”出逢い”だったのだと思います。

木村摂津守は幕臣2千石であり身分的には名門と言っても良い家柄。

彼が頭が堅く身分制度にとらわれるような古いタイプの人物であったなら中津藩下級武士の福沢諭吉などは目もくれなかったでしょう。

この時の福沢諭吉は適塾(緒方洪庵の私塾)の塾頭に最年少で任命されるほどの超優等生だったのですが、木村摂津守が「身分が違う!」と言えばそれで御終いだった時代です。

この出会いが無ければ福沢諭吉がこれほど大きく後世まで残ることは無かったことでしょう


運をよくする方法

福沢諭吉は努力も行動もしたが「運」も良かったのですね。

努力もして行動力もあったからこそでしょうが、「運」といえば私も最近は運がとても良いと思っています。

運は人それぞれの考え方で変わると思っています。

「禍福は糾える縄の如し」

「人間万事塞翁馬」

孤独死やごみ屋敷でお悩みの方でも普通に考えればマイナスなことでも、何かしら学びや気付きがあったり、思考を変換してみると今はマイナスでも将来プラスになるかもしれません。

いや、プラスにするべきでしょう!

当事者だからこそ稀な体験を「他の方に伝える」ということも出来るでしょう。

同じ体験者に寄り添えることも出来るでしょう。

もしかしたら、このブログを見て将来自分が特殊清掃業者になっているかもしれませんね。


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