こんにちは、リライブル株式会社の鈴木です。
今回は「島義勇(シマ ヨシタケ)公の銅像の除幕式」に参加するため佐賀県に行ってきました!
なんで行ってきたのかは2018年10月18日の『佐賀の七賢人・島義勇 銅像除幕式の案内が来た!』を読んで下さい。
特殊清掃や家財整理とは全く関係がない話のブログですのでそういった内容を期待している方は今回は飛ばして頂いて結構です。
ただ、会社経営に関わる面での気付きも多かったです。
(※以下の文章で偉人に尊敬の念を込めて島義勇公とか鍋島直正公とか”~公”とつけるべきなのですが名前がわからないという方も多いと思うので尊称は省かして頂きますことご容赦下さいませ。)
2泊3日の一人旅で色々と盛りだくさんに見てきました。
太宰府天満宮
【11月10日(土) 北海道~福岡県~佐賀県】
新千歳空港から福岡空港へ約2時間のフライト。
除幕式の日の前乗りなので1日目は移動と観光です。
まずはレンタカーを借りて、【福岡市博物館】に直行。
ここに展示されている「日本号」という槍を見たくて来ました。
天下三名槍の一つで残りは結城(徳川)秀康の「御手杵」(太平洋戦争時に焼失したため現存しない)、本多忠勝の「蜻蛉切」と言われております。
龍の細工と螺鈿が素晴らしいですね!(写真が小さくてわかりにくくてすみません)
「酒は呑め呑め~♪」の【黒田武士】のモデルになった母里太兵衛が所持していた槍として有名です。
その他にも展示されている物が多数ありましたが写真撮影NGです。
その後、【太宰府天満宮】に移動。
ちょうど大相撲九州場所が始まる前だったので相撲部屋の方たち20名ほどがお祓いに来ていました。
(遠かったこともありどこの誰かよくわかりませんでした)
太宰府天満宮の御祭神である菅原道真の【菅公歴史館】も見学。
【太宰府宝物館】で太宰府幕末展というのをやっていたので見学。
太宰府は「禁門の変」で敗れた長州系公卿の「七卿落ち」というやつで三条実美などが流れ着いた場所です。
ここに坂本龍馬や西郷隆盛など多くの志士が彼らの元を訪れたと言われています。
隣の【九州国立博物館】も見学しました。
めちゃくちゃ立派です。
私が尊敬する立花宗茂(西国一の無双と称される戦上手。関ケ原の合戦で西軍に属した大名のなかで唯一旧領に復帰できた戦国大名)の実父である高橋紹運が島津軍相手に玉砕した【岩屋城跡】も近くだったので行こうと思いましたが土砂崩れのため封鎖されていました・・・残念。
それにしても佐賀は道路が狭すぎです(-_-;)
幹線道路は普通ですが、少し外れて民家があるところは車がすれ違えないような道路が多く「家財整理をするにはこりゃ大変だな~」という印象でした。
太宰府天満宮近くも道幅が狭い上、交通量が多く渋滞になっていました。
土産屋さんが多く立ち並び京都の清水寺、浅草の浅草寺のような感じで賑わいでいました。
太宰府市を後にして宿泊先ホテルに向かうため佐賀県佐賀市に移動です。
ホテル龍登園というホテルでしたが、全体的に設備が古いという印象でした。
島義勇像 セレモニー&除幕式
【11月11日(日)2日目 佐賀県~福岡県】
勝手がわからなかったため、早朝にホテルを出てセレモニー会場である佐賀県立美術館に向かいます。
どうやら関係者以外の一般客では一番最初に到着したようで開場まで並んで待っていました。
9時に会場、9時半からセレモニー開始です。
山口佐賀県知事の挨拶(写真が小さくてすみません)
高橋北海道知事の挨拶
秋元札幌市長の挨拶
式典は続き、北海道神社敬神講社の荒代表、北海道神宮の吉田宮司が長年の顕彰を続けてきた功績に対し表彰状を授与されました。
北海道関係者の登壇が続きました。
150年前に島義勇が北海道開拓判官として赴任し、札幌市の礎を築き、今現在こうして佐賀県と交流を持つことに感慨深いものがあります。
今では佐賀県(85万人)より北海道(547万人)の方が人口も多くなり、札幌市は200万人近い人口を擁する大都市となりました。
鍋島直正が北海道開拓の重要さをみていた先見性には驚かされます。
銅像製作者のインタビューや島義勇の子孫の方へのインタビュー、佐賀八賢人おもてなし隊の島義勇役の方が島義勇の半生を熱演しました。
一般参加の方にもインタビューということで島義勇さんが会場に目をやると・・・
『!?』
思いがけずブギウギ専務の上杉周大さんが4席ほど隣に来ていてびっくりしました!
その後、除幕式会場に歩いて移動。(お偉いさんは車で移動)
地元高校生の吹奏楽部がセレモニーを盛り上げてくれました。
白い布で覆われております・・・。
テープカット!(動画で撮っていたので写真は布を撮った後です)
風船が空に舞います~
この日が晴天で良かったです!!
この銅像が建てられた交差点の名前が【島義勇像前】と人名がつく交差点名は県内初だそうで「今後もっと増やしていきたい」と山口知事がおっしゃっていました。
偉人がいる街はそういう方がいいと思います。
皆さんで記念撮影をされていたり、特報が配られていたり、初めてこういう祭典に参加しましたが貴重な経験をさせて頂きました。
「五州一の都市をつくる」と言った島義勇の想いが150年後に佐賀県と北海道を結んでくれました。
なんか熱い物がこみ上げてきましたね~。
ふるさと納税の特典で寄付者の碑に名前が入っていました!
こういう機会はめったにないので本当は家族で一緒に来たかったです。
数年後に今度は家族で来たいです。
午前中はこれで終了して、午後からは気合を入れて観光です。
鍋島直正公像
佐賀城は以前来た時に内部を見学済みなので平成29年に出来た鍋島直正(閑叟)の銅像を見に移動。
こちらの銅像は戦前に大隈重信が立案し建てられたそうですが、太平洋戦争時に弾丸として供出してしまったので再建という形で寄付を募り建てられたそうです。
さすがに佐賀藩10代藩主ですので寄付金はたくさん集まったそうです。
鍋島直正については恥ずかしながら名前は知っていましたが、それほど詳しくありませんでしたし興味をそそられなかったのですが今回の旅で勉強し、「なぜこんなに偉大な人を知らなかったのか?」と思うくらいに凄い人だとわかりました。
大河ドラマの主役になってもいいくらいエピソードに事欠かない人物だと思います。
肥前さが幕末維新博覧会
その後、博覧会会場に移動します。
最新映像などを駆使して、面白い展示方法を行っておりました。
結構、歴史好きなら鳥肌ものの格好良さでした!
幕末の討幕派で”薩長土肥”と一番最後に名前が来ているので一番しょぼい藩なのかと思いきや、当時の最強軍団を率いていたのは薩摩でも長州でも土佐でもなく肥前(佐賀藩)だったのです。
薩摩藩は武士階級が他藩に比べ多く示現流などの使い手が多かったので近接肉弾戦では強かったかもしれませんが近代集団戦においては佐賀藩が上だったと思います。
長岡藩も家老・河井継之助の指揮のもとガトリング砲を所持していましたが海軍力では佐賀藩に敵いません。
NHK大河ドラマ「西郷どん」では扱いが大きくありませんが、実際には佐賀藩抜きには明治新政府は人材不足でなし崩しだったかもしれません。
この佐賀藩が幕府側につくのか朝廷側(薩長)につくのかで戦況が激変すると言われていたくらいに重要な立場にありました。
本来は外敵から日本を守るために培われてきた技術やそれを元に作成された兵器が内戦のために使われるのを善しとしなかった思いがあったそうです。
実際に佐賀藩が討幕派として旗印を鮮明にし、上野戦争では佐賀藩のアームストロング砲が活躍し一日で彰義隊を壊滅し戊辰戦争では佐賀藩が各地で活躍をしたおかげで内戦が早く終了したと言われています。
庄内藩も最強と呼び声が高かったのですが、佐賀藩武雄藩のこれまた最強部隊を投入し対戦しました。
別の場所で戦っていた会津藩が降伏せず、戦争が長引いていたら勝敗はどうなっていたかはわかりませんが、佐賀藩の最新鋭の武器と兵士が居なかったら・・・。
歴史にもしも(IF)は禁物ですが佐賀藩が幕府側についてたら歴史は今と変わっていたかもしれません。
ここで2冊の漫画と小説を買いました。
漫画を読んで全体のイメージをして、その後小説を読むと更に詳しくなるのかと思います。
鍋島直正公のような上司が居たら理想かと思います。
お薦めです!
上の絵は漫画『キングダム』の原作者・原泰久(佐賀県出身)さんが書いた鍋島直正公です。
街中には佐賀出身の偉人の銅像
博覧会のメイン会場を後にして、佐賀駅に向かって歩くと佐賀県の偉人の銅像が、な、なんと25体!
そのうち主要な【佐賀七賢人】を簡単に紹介をします・・・
1.鍋島 直正(下記写真中央)
借金だらけの藩の財政状況を改善するだけに及ばず、反射炉、鉄製大砲、国産蒸気船を国内で一番初めに製造。優秀な人材の確保が必要と弘道館の拡充とを行い人材育成に力を入れた名君。
左が藩主直正の教育係・古賀穀堂。右が佐賀藩武雄領主・鍋島茂義
2.大隈 重信(下記写真、左側)
日本初の政党内閣による総理大臣で2度総理大臣になった、早稲田大学創設者。
3.副島 種臣(下記写真、右側)
明治政府の参議、外務卿。「マリア・ルス号事件」で”正義人道の人”と国際的に高く評価された。能書家としても有名。
6.江藤 新平(下記写真左側)
明治政府の参議、初代司法卿。国内の司法整備に努めた。
5.大木 喬任(下記写真右側)
明治政府の参議、初代文部卿。東京府知事や元老院議長など要職を歴任。
6.佐野 常民(下記写真中央)
この後紹介する【三重津海軍所】の監督を務めた。日本赤十字の前身、博愛社の創始者。
7.島 義勇(下記写真右側)
「北海道開拓の父」と言われ、札幌市の基盤を考えた人。
左が副島種臣の兄で「義祭同盟」を結成し多くの人に影響を与えた枝吉神陽
街中にこういう銅像があるのも歴史がある街ならではで羨ましいです。
頑張れ、佐賀県!
そこから更に徒歩で移動して、【リアル弘道館】、【葉隠みらい館】を見て肥前さが幕末維新博を後にしました。
佐賀市内の感想としては閑散としていました。
日曜日だからなのか?なんでかはわかりませんが人があまり歩いているのを見かけませんでした。
水路も汚かったです・・・。
幕末維新博のイベント会場周辺は若干人がいましたが・・・幕末は最強軍団と言われていてた佐賀藩ですが、今では「九州最弱県」と自虐しているようですが山口知事が盛り上げてくれることを期待しております。
世界遺産 三重津海軍所跡・佐野常民記念館へ
佐賀市から車で20分ほどの川副町へ移動します。
ここは前述した佐賀の七賢人の一人、佐野常民が監督をしていた西洋の船舶技術を導入し、自力で近代化を成し遂げようとしていた場所で海軍術の訓練や洋式船の修理などを行っていました。
この佐野常民、歴史好きの人でも「なにした人?」という方は多いと思います。
私もそれほど重要人物ではないと思っていましたが、「なんて馬鹿なんだろう!」と自分を恥じました。
弘道館を通常は5~6年かけて卒業するのを2年で卒業した天才児だったそうで、緒方洪庵の適塾など各所で学び、佐賀藩の産業革命の中心人物的存在でした。
世界博覧会にも参加するなどし海外の知識を現場で吸収すると共に「戦争で傷ついたものを敵味方関係なく治療する」という赤十字の精神を学び博愛社を創設したり、新政府の要職を歴任したりとマルチな才能を発揮しております。
もっと知名度が高くても良いと思う偉人だったのです。(←お前が知らね~だけだろっ!と言われても仕方ありません)
佐野常民一人の手柄ではありませんが、日本初の実用蒸気船【凌風丸】も建造されました。
みえつスコープというVRゴーグルを借りて海軍所跡を歩くと当時の風景が見れるということをしていました。
以前行った名護屋城跡でもこういうのを使用していました。
VRと観光は新しい技術で過去の歴史を復元させるというアイテムとしては良いアイデアですよね。
福岡県朝倉市に移動して宿泊
ホテルにチェックインしてテレビのニュースで島義勇像のことを報道していました。
筑前大刀洗平和記念館
【11月12日(月) 福岡県~北海道】
14:25に北海道へのフライトでしたので午前中に観光です。
太刀洗町に移動して、菊池武光と言う人の銅像を見ました。
南北朝時代の武人で「菊池千本槍」という話が有名です。
以前、私のブログ『東京出張。靖國神社を訪れて』でも紹介したシドニー特攻を敢行した松尾敬宇さんは菊池千本槍に由来した短刀を持参して事に挑んだそうです。
9時になり【太刀洗平和記念館】を見学。
今回の目的地の一つでもあります。
かつてこの地は「東洋一」の広大な飛行場があった場所でここに平成21年記念館が建設されました。
大刀洗陸軍飛行学校は「本校」と言われ、18の分校があり特攻基地で有名な知覧基地も分校になります。
戦後太平洋マーシャル諸島タロア島のジャングルの中に眠っていた機体を修理復元した現存する世界唯一の機体です。
【零式艦上戦闘機32型】
館内の写真撮影はこの機体以外は禁止だったのですが、特攻隊隊員の遺書や手紙、映画などを1時間半ほどかけて見学しました。
特攻隊は自殺志願者がなれるようなものではなく、全国各地の心技体ともに優秀な若き人材が平均21歳という若さで亡くなっています。パイロットになるには素質と大変過酷な訓練をこなさないといけません。
「当時は言えなかったが強制だった」とか、「死にたくなかった」とか証言が出てきますが実際に特攻で亡くなった方たちを英霊として祭る、尊敬する、語り継ぐことは必要だと思います。
それが若き命を懸けて国や家族を守るために死んでいった人たちへの手向けになると考えます。
幕末期の人たちもそうですが、将来の子孫のために日本のために生きるという美学を現在の日本人はあまり意識をしていないように思えます。
しっかりと過去の歴史を勉強し、現在に生かすようにしていきたいものです。
福岡市に移動し西公園に
ここは福岡藩出身で幕末の勤皇家に多大な影響を与えた平野國臣像がある場所です。
像はめっちゃ立派なんですが周囲が民家?不思議なところに立っています。
また、すぐ近くに黒田如水、黒田長政親子を祀った光雲(てるも)神社があり、
ここに初日に訪問した福岡市博物館で見た【日本号】を持つ母里太兵衛の像があります。
この神社も綺麗に整備されているとは言えない状態でした・・・・。
西公園内全体が表示などあまりないので非常に不親切に思えました。
これで観光地を全て巡り福岡空港に向かいました。
今回も学びが多い旅でした
色々と本を読んだり映像を見たりするだけでなく実際にその土地に行ってみることが出来ると更に好奇心が増します。
いずれにしても偉人として後世に名を残している人たちに共通しているのは『自分一人だけのことを思っていない!』
これに尽きると思います。
「社会の役に立つ、後世の誰かの役に立つ」という気概を持つことは生きていく上で大切なことだと改めて感じます。
また、『事を成すにはまずは人から育てる』ということで人材を大切にするということを鍋島直正公から学びました。
明日から通常業務に戻りますが、また頑張っていこうと思います!!
リライブル株式会社
代表取締役 鈴木健郁
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