特殊清掃に関わる社長の死生観〜死をタブー視しないで欲しい

こんにちは、リライブル株式会社の鈴木です。

ついに2019年も残りあと16日となって参りました。

先月の話で少し古いのですが、厚労省が出した「人生会議」のポスターを巡って報道されていましたが記憶にありますでしょうか?

これがきっかけで私も思うところがありましたのでブログでお話しようと思います。

・最後にどこで最期を迎えたいか?

・延命治療は必要か?

・死後の相続や葬式はどうしたいか?

・・・などを生前中に家族で話し合っておきましょうというのが簡単に言うと”主旨”です。

お笑い芸人の小藪さんがモデルとして映っていますが、これに抗議文を提出した某団体があり、それがもとで全撤去という方針となったそうですが・・・。

こういったことに関しては賛否両論が出てくることは覚悟の上だったのでしょうが、何も報道されずにいるよりは話題になったという意味では反対者が出てくれたおかげである意味「人生会議」というアピールには成功したのではないかと思います。

俗に言う”炎上商法”のような感はあります。

それぞれ感じ方は違いますから「言論の自由」ということで反対する人がいるということもOKとしましょう。

このポスターの制作費≒税金である4000万円が無駄になりましたけど、収束が早かったということは厚労省もこの動きを予想していたのではないかと思うふしがあります。

それにしても政府がポスターを出すとなると全く注目されないと税金を投入しても無駄になりますし、やり過ぎると叩かれるし、「いろんな人がいていろんな考え方の多様化がある、多様社会を受け入れろ!」と言いますがなんでも「自由」になるとそれはそれで難しいですね・・・。

「火の鳥」が与えた影響

私は中学生の頃に部活もしてない帰宅部だったので市立図書館に通っていて、そこで哲学書を読む思春期を送っておりました。

色々な本を読んだあとに、中学生でもわかりやすかったのが手塚治虫先生の「火の鳥」が永遠の命を求めるが、実際に永遠の命を手に入れてしまった人は死ぬことが出来ず、関わる人たちが次々に死んでいき自分だけが死ねずに寂しい思いをする・・・。


これが未来永劫続くというのは生き地獄だ!・・・と。

「死(終わり)があるからこそ人は生きていける」ということを訴えていました。

「死ぬのが怖い・・・」と思うことは決してないのだということです。

その影響で中学生の頃から「無常観」であったり、「盛者必衰」だったり、そういった思想が行動の根本にあります。(その後、「ブッダ」も続けて読んだことは言うまでもありません)

そもそもなぜ、中学生の頃にそういった哲学書を読んだのか?と振り返ると、私の親戚のオジサンが40歳代という若さで亡くなってしまい、人生の短さや儚さを感じたのです。

「哲学と宗教 全史」 出口治明・著

そういったことも踏まえて、先日、たまたまネットで「この本が凄い!」という紹介をされていたのを見た後に、本屋さんにあったのですぐに購入しました。

内容的には「結構難しいのかな?」と思っていましたが、読み始めると思っているよりも読みやすく面白い本です。

若干分厚いので、「うわぁ」と敬遠しがちですが「哲学とは?」という真理を小難しい言葉を並べて高尚な感じにする本が多いなか、優しい言葉でわかりやすく説明してくれます。

歴史的にも全世界中の昔の人たちも「人はどこから来て、どこに行くのか?」ということを考えておりました。

それは宗教の話とも結びつくのですが、決して怪しい話ではなく哲学と宗教は不即不離の関係で分離出来ない学問だということを教えてくれます。

あんまり本の内容を書いてはイカンのでこの辺で止めときますが、一般教養として知っておくべきことが多く書いていますのでお奨めです。

お焚き上げと宗教の関係

お焚き上げなどの関係で仏教の本も予備知識として勉強しようと「今日から役立つ仏教」(正木晃・著)も読んでいたので、家族からは「大丈夫?悩みあるの?」なんて思われているかもしれませんが、楽しく生活していますのでご安心下さい。

我々が行っている遺品整理業ではお焚き上げのご依頼を頂くことがあります。

その時にお仏壇の種類や形状、位牌の有無などで宗派の違いが判らないとプロとしては恥ずかしいときがあります。

そのために最低限の知識は知っておく必要があるのです。

また、故人が「何教、何宗、何派だったのか?」

「ご家族が何宗だったのか?」なども話題になることがあります。

基本的には日本は仏教徒が圧倒的に多く、イスラム教の方の遺品整理の経験はありませんがグローバル化が進んでいるのでもしかしたらそういった方のご遺品整理を行う日が来るのかもしれません。(そもそも偶像崇拝が無いので物体を「遺品」と思う概念がないと思いますが・・・)

そのときに全く分からないようでは恥ずかしい思いをすることがあります。

そういった宗教観を事前に知ることでただの不用品なのか、不用品ではないのか?ということもわかる可能性があります。

「不用品処分業者」と「遺品整理専門業者」の違いもそういったところにあると考えております。

人の死は誰にも予想出来ない・・・

弊社では孤独死現場のお片付けをさせて頂いております。

病院従事者、介護従事者のようにお世話していた方達が亡くなっていく辛さ・・・。

お葬式、納棺士などご遺体に携わる方達・・・。

警察、消防、自衛隊の方たちのように直接ご遺体を発見し運んだり、目撃したりする方。

そういった方達に比べると”間接的”ではありますが、私たちも故人のご遺品やお部屋の片づけを通して「死」に関して考えることは多い職種の一つです。

死後長い間見つからずにいた故人も「自分がまさか突然死してしまうなんて!」と思う方もいれば「眠ったまま亡くなって、自分が死んだ?」ということも気付かず亡くなってしまう方もいるでしょう。

殆どの方が、余命を知らずに、どこでどういう風に自分の生が終えるのかわかりませんから、家族の繋がりが希薄となるなかで「人生会議」が出来るのであれば「死」をタブー視しないで話す機会を時折作って頂きたいと思っています。

お正月に家族が集まったときなど子どもから親にそういう話をすると角がたつので年長者から年下の者にお話しするのが自然でしょう。

これだけ「超高齢化社会」とか「多死社会」と言われていますが、実際に身の回りでは密葬だったり家族葬も多く、昔より死について考えることも、関わることも無くなっている気がします。

今日は何気なく思ったことを書いてみてうまく纏まりませんが、ご相談ごとは下記までお気軽にご連絡下さい。

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